足袋

 稽古会を始めてから、日常生活のほとんどは足袋と下駄である。足袋は親指と他の四本指とをはっきり分けている。「小股が切れ上がったいい女」というたとえがあるが、それはこの親指が反ることなのだそうだ。
 試しに立って、親指をグンと天に向けて反らし、自らの身体を内観してみれば、腰がぐっと締まってくることが分かるだろう。だとすれば、いい女とは、腰の締まりがよいということが第一条件になる。聞けば、浮世絵などに描かれている女性たちは皆、親指を反らしていると言うではないか。
 足袋は、いい女に近づく通行手形であるのかも知れない。足袋や下駄が、生活の中から消えてゆき、一体、自分の親指がどこに在るのかも分からぬような靴下の時代には、到底、窺いようもない粋が、足袋の時代にはあったのだ。
 この足袋をはじめとし、着物、帯など装うこと、食すること、その住まいに至るまで、先人たちが尊んできた文化の所産は、それを着用し、使用する側に、その身の所在を明示させる力があった。
 醤油づくりを生業としていた明治生まれの父が、「腰が入る」とよく言った動きの規範も、樽が消え、この身体と馴染みの切れたポリ容器に取って替わられた現在では、子供たちや若い人たちと共有できる運動感覚とは言い難い。
 別に歴史主義に走る気持ちはないが、「小股の切れ上がったいい女」という、この言葉が有する勢いも、「腰が入る」の力感も、その「もの」を使って初めて感じとれる身体の充実であれば、消えゆくものの力はあまりに大きい。

(1993.12.22 中国新聞 『緑地帯』)